My thoughts : Broadening and Widening -7ページ目

文化祭!

昨日と今日、毎年恒例の大イベント・文化祭がありました!


うちの生徒は文化祭に対してはありえないぐらい熱心で、わざわざ「文化祭実行委員」というものまで作り、そこでは100人以上の企画員が文化祭の中心を担います。クラスごとの企画としては、展示や装飾などを中1・高1・高2が担当し、中2がダンス、中3・高3は劇です。劇とダンスはホールで行われますが、それ以外にもホールではライブなんかもあります。他にも「中庭企画」というものもあって、ステージ系の出し物が同時に2ヶ所であるという具合になってます。中学生は中3の劇と中2のダンスだけは必ず見なければなりませんが、高校生は完全にフリーで好きなように企画を見て回れます。 


もちろん校外からも多くのお客さんがやってくるので、校内は一日中人で溢れます。こんなお祭り騒ぎが二日間も続きます。おそらく日本一の文化祭でしょう(それほどまでに生徒たちは熱心です)


文化祭はとにかく準備が大変で毎年苦労していますが、やはり当日になるともう楽しい楽しい(笑) 僕は企画員ではありませんでしたが、実際にやっている人を見て、「やっぱり参加しておけばよかった!」と悔やみました。来年は絶対に企画員になって文化祭を作ってみたいです!


昨日、今日の日程は今年も例年通り大きな事故も無く文化祭が終わり、夕方には校内が「お祭り騒ぎ&いろんな装飾」から「ただの校舎」に戻ってしまいました。ちょっと寂しいですが、これで落ち着いた日々が戻ってきます。


ところで、明日はクラスで文化祭の打ち上げに行きます。カラオケ⇒ボーリング⇒焼肉⇒後はテンションに任す、というコースらしいです。楽しんできます♪

MESE日本大会

突然ですが、MESEというものをご存知でしょうか?


一言でまとめると、MESEとは「企業経営のシミュレーション」です。(詳しくはhttp://www.ja-japan.org/program/mese_profile.html ) 僕の高校では、1年の現代社会の授業でこれが教材として使われていて、クラス内のグループで競い合って「経営のいろは」を勉強します。「単なるゲーム」とくくってしまえばそれまでですが、他社と差をつけて勝ち抜く方法はそれこそ無数にあり、自分で考えて最良の道を切り開いていくのがMESEの最大の面白みです。


僕は授業でMESEに見事にはまり、去年の秋にもMESEの日本大会にエントリーし、HAYATAKEという社名を掲げて決勝戦へ向かって戦い抜きました。(HAYATAKEはHayato&Takeruの略) が、最終予選の大詰めで僕が意思決定のミスをしたり、一緒に組んでいた相方が別件でトラブルを起こすなど、さまざまな悪条件が重なったため、最終的に会社が傾き、あと一歩のところで決勝戦への切符を取り逃してしまいました。


そして、いよいよ今年の日本大会がやってきました。今年は大会本部が新聞でも告知を出すほどの気合の入れようで、出場者が増えることを見越してか、前回は2回だった予選が3回に増えています。去年に比べると、今年の戦況はかなり荒れそうです。


ともあれ、去年別チームとして大会に出場していたTakeshiと堅い握手を交わし、2人で新会社「RIPCURL」を立ち上げました。彼とはもともと仲が良く、お互いMESEに対する知識・熱意も十分あるので、二人三脚で協力して、去年果たせなかった「決勝戦出場&日本一」を狙っていきます。


10月下旬には、決勝戦に向けた僕とTakeshiの戦いが始まります!

文化祭へ大詰め

文化祭が今度の土日にあるため、準備が急ピッチで進んでいます。SSPクラスの宿命である「人数不足」に日々悩まされながらも、最終的にはちゃんとした展示が出来そうで、僕としてはほっとしています。

(余談ですが、高3でSSPを抜けて一般クラスへ戻ることを検討し始めています。要するに、少人数&特別コースの中でのAcademicsを取るか、多くの生徒の中でのSociabilityを取るかの問題です)


最近書いてませんが、修学旅行の準備はだいぶ進んできて、すでに事前学習などもスタートしています。一回目は企画員からの講義しかなかったので、次回からは4人ぐらいずつのグループに分かれて調べ学習&プレゼン、なんていうこともやってもらおうかと思っています。(グループプレゼンと企画員講義を混ぜ合わせるのがベストかな?)


英語の勉強は、文化祭などの事情があってSATは一週間ほど中断することにしました。単語はこれまで使ってた単語帳(速読速聴Advanced)が終わったので、今度はSATのテキストに付いていた「3500 Basic Word List」というものを切り取って使うことにします。今後は、これまでの「一日に20語ぐらいを確実に覚える」という方針から一気に転換して、「一日に150語の単語に触れる」という数当たり作戦を取ることにします。これを今年度中に5ターンぐらい繰り返したいと思っています。


今日のところはこれ以上書くネタが無いのでこの辺で。


では。

読書感想文

夏休みの課題といえば「読書感想文」は定番中の定番ですが、僕の高校も例外に漏れず、この課題は中高全ての生徒に課されます。僕は半分嫌々ながら、かつ半分張り切って、なんとか期日どおりに仕上げることができました。


で、先日学内選考が終わり、意外な事実が判明しました。「君の感想文を学校代表として出品する10作のうちの1つに選びました」との知らせ。僕は思わず「え。あんなのでよかったんですか?」と聞き返しました。


というのも、母にいつも「あんたは国語力が無い」と言われている僕の文章のセンスの無さに加えて、実はテーマにも少し問題があったのです。今回は僕の専門分野でもある「社会主義」をテーマとしたので、選考委員の先生から「まずテーマが赤いからボツ。」として頭からはねられると思っていました。(補足*1)


ともあれ、学校代表の作品になったということは、少なくともこのブログで公開しても恥ずかしいものではない、ということだろうと思います。ただ、これから始まる全国区の選考に関しては、こんな程度で賞がもらえるとはとても思っていません。ホンマに。


ということで、興味のある人向けに、以下に文章を貼り付けておきます:


題名:社会主義思想から学ぶこと

 社会主義の歴史は長い。その思想と理論は資本主義と連動しながら発展し、十九世紀以降の社会と歴史を大きく揺るがした。政治体制としての社会主義の可能性は別としても、社会主義を扱った文献から学ぶことは驚くほど多い。特に現代のような先の見えない時代であればなおさらだ。
 社会主義といえば、ソ連や北朝鮮などを挙げる人も多いことだろうと思うが、今回、私はこれらの国々について書くつもりは全く無い。これまでに実在した「社会主義国家」という名の国々は、エンゲルスやマルクスの唱えた社会主義とは遠くかけ離れたものであり、全くの偽物に過ぎなかったからである。私が今回書くのは、社会主義国家の歴史でもなければ、社会主義理論そのものでもない。それらの理論を学ぶことによって得られた、私自身の新たな考え方である。
 私が今回読んだ本は、エンゲルス著の「空想より科学へ」だ。この本は、政治経済の教科書でも扱われている「資本論」や「共産党宣言」と並ぶ社会主義の名著であり、一八八三年の発表当時から社会主義理論の入門書として最も多く読まれているものだ。私はこの本以外にも社会主義関係の本を何冊か読んだが、それらを通して身に着いたことは、今の社会に対する強い問題意識であった。
 とにかく今の時代は先が見えない。この本が発表された当時もそうだった。資本家が生産手段の力でもって労働者を搾取し、労働者は常に貧乏な暮らしを強いられていた。毎日の生活が労働で埋め尽くされ、自由や希望といったものはかけらもなかった。
 現代ではそのような単純な構造では済まず、社会全体が複雑化している。しかし、基本的な構造は何も変わっていない。それは、強い者から弱い者への「搾取」に他ならない。事実、近年では企業の利益が増えても労働者の給料は減っていく、といったことが普通になり、政府は税金を増やしながら国民への福祉を削り始めている。企業と政府の両者から搾取を受けているというのが今の国民の実態であり、さらに悪いことには、大多数の国民がそれに気づいていないということだ。
 高度成長期の真っ只中には、国民と企業と政府との利害が一致し、健全で着実な成長が実現された。それが今の豊かな日本を作ったのである。確かに、見た目の豊かさは高度成長期も現代も変わらない。しかし、フリーター・ニート問題や教育レベルの低下を見ても、日本の没落は目に見えている。多くの人々が「日本は世界に冠たる一等国」といまだに思い込んでいるが、そんなことはとんでもなく、もはや日本は二等国に落ち込んでしまっているのが現状である。今は高度成長期からの惰性でなんとかやっているに過ぎない。しかも、人々はニート問題などの各論を口にすることはあっても、日本が二等国に落ち込んだことにはほとんど気づいていない。
 とはいえ、今の時代に「社会主義で豊かさを追求しよう」などというのは時代錯誤もはなはだしいだろう。一般大衆は社会主義と聞いただけで引いてしまうから、それは仕方ないといわざるを得ない。しかし、社会主義文献(特に「共産党宣言」と「空想より科学へ」)そのものは今でも高く評価され、これら二冊は「方法序説」や「人間不平等起源論」などの名著とともに岩波文庫の厳選百冊のリストに入っている。それは、社会主義というものが、これまでの社会の常識を根底からひっくり返し、その後の歴史を大きく揺るがした、画期的な「発明」だったからに他ならない。
 したがって、今の時代において、社会主義文献を読んで学ぶ意味は、社会主義理論そのものではなく、偉大な「発明品」を実際に体験するということにある。大きな希望に溢れていた思想家や活動家たちの息づかいがそこには込められている。彼らの活動の良し悪しは別として、現代の人々にこのような力強さはあるだろうか? 残念ながら、全く無いのである。明日何とか生活できればそれでいい。そんな消極的な考え方では、やがて没落の時が必ずやってくる。
 今の日本は、すでに没落の道を歩み始めてしまった。もう手遅れかもしれない。しかし、社会に対して厳しい目を向け、問題意識を持つことができれば、社会は少しずついい方向へと向かっていくだろう。
 目先の選挙などに注目するのもいいが、一度、「空想より科学へ」か「共産党宣言」を読んで、かつての人々の力強い希望と息づかいを感じてみるといい。その目的のためには、読む対象は社会主義文献でなくてもかまわない。かつての人々の力強い息づかい、それを感じることが、「古い名著」を読む最大の意味なのだから。

(補足*1)

正直な話をすると、悪意の有無に関わらずいまだに人々の間の「反共」意識は根強く、社会主義を取り上げてモノを書くのは結構なリスクがあります。いっぱしの社会主義思想の支持者として、これは常に警戒していることです。ただ、反共主義者のほとんどは、いくつか質問をすれば根っから論理破綻したくだらないことを抜かし始めるので、論理詰めで突っ込みを入れれば大抵は論破できます。とはいえ、論理の通ったホンモノの反共主義者が相手では自信も揺らぎます(笑) まあ、そんな反共主義者はめったに見ません。ほとんどは漠然としたイメージや悪しき一般世論に振り回されているに過ぎません。反共主義者を批判しはじめるとキリがないのでこのへんで。

体育祭!

毎年恒例の体育祭がやってきました! 今日は9月下旬とはいえ、さすがに京都はまだまだ暑い。日差しもあって日焼けもしましたよぉ。


体育祭では3学年あわせて、定番の「色別」で競いますが、9組は(SSPの宿命として)体育会系の生徒が極端に少なく、また、生徒の数も少ないので応援などでも苦労していました。(普通は130人ぐらいいるのに、9組はたったの75人!) 当然ながら?、結果は最下位でした・・・(爆)


競技はボロクソでも、やはり楽しいものは楽しい!ということで、かなり盛り上がってました。いや、僕にいたっては暴走していたかもしれません。一部のネタについては、常軌を脱していました。そのことは、これを見てくれている一部の不健全な男子なら、何のことかきっと分かるはずです。(健全な読者へ:普段の僕はこんなにやばくありません。でも今日は行事なので爆発しました♪)


では。