My thoughts : Broadening and Widening -21ページ目

修学旅行実行委員会

僕の高校の特色のひとつとして、「修学旅行が生徒主催である」ということがあります。修学旅行実行委員会(通称「修実」)という組織には30人ぐらいの生徒が所属していて、修学旅行作りの中心的な存在になっています。先生は最低限の口出しをする程度で、基本的な運営管理は生徒にゆだねられています。盛大な文化祭と並ぶ「2枚看板」の一つであり、生徒の自治能力が試されます。


僕も高1の秋から委員会に入って活動をしているのですが、最終的に成立した海外3コース・国内1コースのうち、唯一の国内コースとして信州コース(スノースポーツ)の企画長を務めています。


最初は、自分でコースを作ることはほとんど考えていなかったのですが、途中で「スノースポーツをメインにしたコースを作りたい」という動機ができたので、自分で「信州コース」を立てることにしました。人気投票でも国内コース4候補のうちのトップになり、4月には委員会側の最終的な4コースの一つとして決定されました(^^)v あとは、月曜日の学校側との協議会を切り抜ければ、晴れて「学校側からも公認」という運びになります。


国内コースは少なくとも1コースは設置しなくてはならないという決まりになっているので、信州コースについてはほぼ確実に通るでしょう。ほかのコースも大枠はほぼ完成しているので、「コースの中身がしょぼい」といってつぶされることはまず無いはずです。ただ、問題は少し別のところにあります。


各コースの行き先は、学校側の規則により、例年なら4コースを海外2・国内2という風に割り当てているのですが、今年は例年よりも海外志向の人が多く(8割ぐらい)、委員会の中で海外3・国内1という比率にしたいという意見が出てきました。しかし、学校側は「海外が多いと手間が掛かる」として乗り気ではありません。かといって、国内コース2番手の沖縄コースは、あまりに人が少なすぎて成立させられない、つまり、海外3・国内1の案が通らないと、海外2・国内1で催行という、とても情けない結末とになってしまいます。しかも、そうなると、信州コースに多く見積もって50人以上来たとしても(スキー系のコースは例年50人未満で催行されています)、海外の2コースに残りの300人近くの生徒が集まり、全く身動きが取れなくなってしまうのです! つまり、委員会側としてはぜひとも海外3・国内1で通したいわけです。


月曜日の協議会での争点は、各コースの成否より、そのことに重点が置かれそうです。詳しいことは月曜日に記事を書きたいと思います。

圧力センサー

SSPには「SSP仕様の」数学や物理以外にも、さらに独自の授業として「最先端科学」という科目があります。


この授業は、大学の教授や大学院生のサポートを受けて、今の最先端のテクノロジーのいくつかを実験中心で取り上げていくものです。今は「マイクロマシンテクノロジー」についてやっていて、今日は3回目の授業でした。


この3回までのところでは、マイクロマシンの中でも「圧力センサー」に絞って授業をしています。これ自体は、1センチ四方も無いほどの小さなチップなんですが、実際にはコーヒーカップぐらいの容器に入れて、加圧機で気圧を上げて実験をしています。圧力をかけるとチップの回路で抵抗値が変化するので、その変化を読み取って逆算すると、どのくらいの圧力が掛かっているかが分かるらしいのですが・・・ 今日は主に回路について解説を受けました。


実は、この圧力センサーの授業はもともと大学2回生向けのものなので、実験だけならともかく、原理まで理解しようとすると、かなり難しくなってきます。一応、高校生のために簡略化はしてあるんですが、やっぱり厳しいものがありました。特に回路の構造が難しく、何度も大学院生の先輩に質問をして、何とか理解しようとしていました。可変抵抗の構造、5つもある端子がそれぞれどういう関係にあるのか、電源と計測器のつなぎ方がややこしいこと、電流を流す方向によって電流の流れるルートが変わること、などなど・・・・・・ まさに、疑問が一つ解決すると、また一つ疑問が出てくるという具合でした。最後は何とか半分ぐらい理解出来ましたが・・・やっぱり難しかったです。


話は変わりますが、5時過ぎに授業が終わった後、一人で図書館に行って、食堂で夕食もはさみながら、あわせて3時間ぐらい英語の勉強をしてきました。気が散りやすい家に比べると、能率は5割増しぐらいでした(笑) こんな感じで、英語の勉強も何とか軌道に乗り始めました。相変わらずSATの長文には圧倒されますが・・・がんばります!


P.S. 何でも、回路のことを理解するには「最低でも」高校3年レベルの知識が必要だそうです。普通でも大学1回生の知識が要るとか。そりゃ大変なはずだなぁ・・・(^^;

社会主義の本質って?

皆さんは、「社会主義」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?


多くは「ソ連」「北朝鮮」と答えるのではないかと思います。それ以外にも、「失敗した体制」、「古い思想」、「良くない」など、今日の社会主義に対するイメージは芳しくありません。特に、戦前の反共時代をすごしてきた高齢の方々の中には、社会主義という言葉を聞くことすら嫌という人も少なくないと聞きます。ましてや、ソ連が崩壊した今では、社会主義はほとんど相手にされなくなっているのです。(とはいえ、日本でも社会主義が栄えた時期が1970年代ごろにありました。別の記事 で紹介しています。)


しかし、最初の記事 でも書いたように、ソ連は実質的には社会主義国とはとても呼べないもので、社会主義国というよりはむしろ、「社会主義の夢をぶち壊した偽物」だったといえるでしょう。そういう面から見れば、ソ連の崩壊は「悪しき偽物の消滅」であって、「本当の社会主義を作るための希望」として受け止めることも出来るのではないでしょうか。


では、「本当の社会主義」とはどのようなものなのでしょうか。そこで、ちょうどいいページを見つけたので、引用して紹介します。日本共産党のFAQからです。


(2004年に定めた)新しい綱領は、党名とも結びついた壮大な人間社会(=社会主義・共産主義社会)の未来像を示しました。その特質は一口に言えば、人間の自由、人間の解放です。「人間が、社会の主人公として、人間の外にあるどんな外力にも従属することなく、どんな搾取も、どんな抑圧も、どんな差別もなしに、たがいに協力しあいながら、人間社会と私たち人間そのものの躍進を実現してゆく社会。そこで人類の限りなき前進という、未来が開けてゆく社会、これが私たちのめざす未来像」(綱領改定討論の不破哲三議長結語)です。 (日本共産党 - FAQ - 日本共産党が党名変更しないのは? より)


ソ連の崩壊による世論の変化もあって、日本共産党も一般向けには「社会主義」という言葉をほとんど口にしなくなっていますが、それでも基本理論には「科学的社会主義」を定めてきちんと綱領にも盛り込み(党綱領 参照)、近年でも社会主義関係の文献についての講習会も開いています。


「歴史」としてみるならば、社会主義は捨て去られるべき古いイデオロギーなのかもしれません。しかし、人間の「思想」として見た場合はそうではないはずです。社会主義の本質である「ユートピア思想」は、あくまでも誰もが持っている「人類普遍」のものであって、それは人類の「遠いゴール」として目指すべきものに違いありません。ソ連が崩壊した今でも日本共産党が存続し、社会主義をベースとし続ける意味はそこにあるのだと思います。


明日の見えないこんな時代だからこそ、社会主義に対する正しい理解が必要だと感じています。

伸び悩み

最近、英語力が伸び悩んでいます。


中2のときから真剣に英語の勉強を始め、中2の終わりに英検2級、高1の夏に準1級を取るところまでは、半分根性を使って、何とかやってくることが出来ました。ところが、最近は明らかに伸びが鈍っています。TOEFLはある程度余裕を持って答えられるのですが(リスニングは苦戦)、SATではとても歯が立ちません。単語はほとんど分かるのに、質問にはなかなか答えられないのです。TOEFLにしても、600点はまだ達成できていませんし、exodusさん などのアドバイザーたちが英語力を強調する意味を、身をもって感じています。今までのやり方が限界に来たのか、それともまだまだ単語力が不足しているのか? 成績と課外活動の成果が徐々に上がり始めているだけに、非常につらいです。ひとまず、SATの勉強以外にもペーパーバックを読むなどのことも取り入れたいと思います。


P.S. 先輩の皆さんへ

何かアドバイスなどありましたら、コメントのほうに書き込んでいただけると有難いです。よろしくお願いしますm(_ _)m

日本での社会主義隆盛と衰退

今ではごく少数の支持者しかいない社会主義も、高度成長期の日本ではかなりの勢力を持っていました。


戦後の日本では、日本社会党が自民党に次ぐ大政党として君臨し、戦時中は厳しい弾圧にあった日本共産党も1970年代には40議席ほどを獲得するまでに成長していきました(「倍々ゲーム」と呼ばれたほどらしい) そして、それを支えたのは高度成長期ならではの民衆のパワーと、「より良い社会へ」という国民の希望でした。また、与党の自民党は社会主義政党ではなかったものの、与党として「いい意味での計画経済」を中心とした福祉国家的な政策を実行し、日本の着実な成長を実現していました。ある意味では、高度成長期の日本は(本来の意味での)社会主義に似たものであり、国民の中でも社会主義の勢力はかなり強いものでした。

(ただし、後に「日本型社会主義」は高い成長率のもとでしか成り立たないことが明らかになりました。もし、強引にこれを続けると経済的にもやりくりがきかなくなり、資源の浪費などの問題も生じてきます。)


しかし、1991年のソ連崩壊は、社会主義の支持側に大きなダメージを与えました。さらに問題なのは、ソ連の実態が「社会主義ではない、悪しき偽物」であったことです。つまり、少しでも社会主義を勉強したことのある人であれば、「ソ連は社会主義ではなく、偽物 ⇒ 社会主義もまだ見込みはある」ということがすぐに分かるものが、大多数の人にとっては「社会主義そのものの完全な崩壊」と映ってしまうという、大きな問題を生じさせてしまったのです。


このあおりを受けて世界中の社会主義団体が解散し、日本社会党も同じ道をたどりました。社会党は現在では社民党として何とか生き残っています。ただ、共産党はイメージ面でダメージは受けたものの、解散することは無くきちんと存続しました。それでも、社民党と共産党は、かつての躍進から大きく後退して弱小政党となってしまっています。


さらに、日本で最も左翼(社会主義勢力)寄りである日本共産党も、党綱領から社会主義にかかわる内容を徐々に減らしており、いよいよ「歴史としての社会主義」が終わりに近づいているように感じます。しかし、社会主義の消滅をこのまま放っておいていいのでしょうか? それは資本主義を基礎とした支配体制側にとっての「対抗馬」の消滅であり、対抗馬の消滅は今までよりも激しい支配体制側の横暴を促すでしょう。


対抗馬として、わざわざ社会主義をこだわる必要は無いかもしれません。しかし、時代の流れに逆らってでも、19世紀のような「本当の意味での社会主義」の復権を目指すべきだと思います。